2016年11月05日
中庸
うれしいことが、起きたとき、うれしい~って心から思います。
悲しいことが、起きたとき、悲しい~って心から思います。
人生は総合的にみてプラスマイナスゼロになるそうです。
うれしいことが、起きたとき、反対の出来事がおきたり、
悲しいことが、起きたとき、反対の出来事がおきたりします。人生はこうやってばらんすを取っています。
じゃあ、どうやってこれらを防げるのか?
いつも中庸な自分でいる、ということです。
うれしいことが、起きたとき、やったあと、心を振動させるのではなく、これに対する気を付けることは何だろう?って考え、敢えて自分を俯瞰するのです。
悲しいことが、起きたとき、うう。。と、心を振動させるのではなく、これに対するブラスな側面は何だろう?と考えるのです。
中庸な自分でいるには、瞑想をして、いつも自分を宇宙と繋がっておく。感情の揺れ幅を持たない。心をあまり振動させない。うれしいことが、起きたとき、天にも上ってしまうくらいに心を震わせるのではなく、ありがとうございます。光栄です。位に謙虚に、とどめておく。
そうしていると、段々自分のまわりに、うれしいこと、悲しいことが起きなくなってくる。穏やかな自分で過ごせるようになる、ということです。
心をいつも中庸に
悲しいことが、起きたとき、悲しい~って心から思います。
人生は総合的にみてプラスマイナスゼロになるそうです。
うれしいことが、起きたとき、反対の出来事がおきたり、
悲しいことが、起きたとき、反対の出来事がおきたりします。人生はこうやってばらんすを取っています。
じゃあ、どうやってこれらを防げるのか?
いつも中庸な自分でいる、ということです。
うれしいことが、起きたとき、やったあと、心を振動させるのではなく、これに対する気を付けることは何だろう?って考え、敢えて自分を俯瞰するのです。
悲しいことが、起きたとき、うう。。と、心を振動させるのではなく、これに対するブラスな側面は何だろう?と考えるのです。
中庸な自分でいるには、瞑想をして、いつも自分を宇宙と繋がっておく。感情の揺れ幅を持たない。心をあまり振動させない。うれしいことが、起きたとき、天にも上ってしまうくらいに心を震わせるのではなく、ありがとうございます。光栄です。位に謙虚に、とどめておく。
そうしていると、段々自分のまわりに、うれしいこと、悲しいことが起きなくなってくる。穏やかな自分で過ごせるようになる、ということです。
心をいつも中庸に
Posted by mastersin at 22:09│Comments(0)